形成的アセスメントをもとに、ラーニングへの社会科授業改善を試みた実践から具体的な手続きを析出することを目的とした豊嶌啓司氏・柴田康弘氏の論文を紹介。
この論文が解決したい問い
社会科授業において形成的アセスメントはいかに可能か?
この論文を読むことで分かること
- 社会科授業おける形成的アセスメントの実践方法
- 形成的アセスメントを実践した授業の検証方法
- 形成的アセスメントの有効性
論文の要約
ラーニングの実現は、単に授業の主役を教師が児童・生徒に渡すだけでは成立する簡単なことではない。再び形式主義・活動主義の批判にさらされるだけであり、教育の「学習化」問題として、教師が教育することの意義や必要性から警鐘も鳴らされる。
学習指導がコンテンツベースからコンピテンシーベースに転換した今日。
指導者による受動的な教授(ティーチング)から、学習者の能動的な探究(ラーニング)への授業改善が目指されている。
このようなラーニングへの転換は、授業の主役を教師が児童・生徒に渡すだけでは成立するものではない。
こうした問題を克服するうえで、著者らは「形成的アセスメント」に注目し、研究を行っている。
- 学習の自律化の趨勢・危惧の分析
- これまでの社会科授業開発研究の功罪の分析
- 形成的アセスメントの理論的研究
- 自律化を促す学びの構想・実践
- 効果検証
学び手が対象にいかに関わるか、選択・判断して意思決定及び合意形成する自分事としての真正の学習課題を学習デザインの中核とし、その中に習得すべき知識や科学的思考を「問い」として埋め込むことが必要である。
学び手の思考・判断が、興味本位の安易な思いつきに終始せず、集団内での納得解に深められるよう学習のゴールとしての目標を明確にしたうえで共有することが必要である。
③
「教師の問いに学び手が答える」から「学び手の問いに教師が応えるリヴォイス」へ、「終わり(学習成果)の見取りの評価観」から「学習プロセスの見立ての評価観」への基調転換(いわゆる形成的アセスメント)が必要である。
④
教科や横断学習で目指す目標や見方・考え方、方略に基づく教師の学習デザインや働きかけが、決して放任ではない教師の意図に即した学びの充実につながる、それはすなわち、いわゆる問題・課題解決学習として、科学的な探究を担保し、教師が期待する学びの実際としての(広義のティーチング)と、学び手の能動的な探究(ラーニング)とを両立させる手立てとしての意義を持つことが、拡張された方法から析出された。
⑤
実践の具体をもとに、解決方法を論じた本研究は、社会科における理論と実践の、そして新たな実践の、そして新たな研究の在り方を示していよう。
問いを埋め込むための足場かけ方略や問いを想定したルーブリックによる形成的アセスメントを行ったが、これら方法に限定されない他の方法も模索する必要がある。
学習形態としての方法には言及していない。今日、対話的な学習活動に関わって、多様な学習形態や理論が提案されているが、それらについては不問である。
最も深刻な課題として、学習の自律化は必要であるが、ビースタが指摘するように、思考の次元を超越する高次な学びに導く上で、教師が敢えて施す指導は、如何なる場面・状況において、何を、どこまで、どのように指導するか、このことについての検討が必要であろう。
自分の考え
社会科学習の自律化は、難題である。計画した問いを配列し、教師主導によって子どもを牽引する(狭義)のティーチングから、学習者としての子ども主体のラーニングへと転換することは、教師の頭ではその必要性や方法が理解できたとしても、いざ教室に具現しようとするとたちまち困難を極める。
この論文を読んで「子ども中心の学びは子どもに任せるだけでは成立しない」ということを身に染みて感じた。
筆者は、「子ども主体のラーニングとは、自律化した社会科学習であると捉えるが、それは教師にとっては、(広義)のティーチングとしての行為、学びの促進である。」としている。
「学ばせる」とは「教える」を放棄することではないことが分かった。
「子どもが学ぶ」に対して、教師がどのように関わっていくかが求められている。
そのひとつの手がかりとして「形成的アセスメント」があるのではないかと思う。
論文情報
【タイトル】社会科学習の自律化はいかに可能かー形成的アセスメントを手がかりにー
【著者】豊嶌啓司・柴田康弘
【雑誌名】『社会系教科教育学論叢』, 第2号 , pp.37-48
【出版年】2023
【こんなときにオススメ】学習評価の実践について学びたいとき
【タグ】形成的アセスメント
参考文献
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